えぬずらぼ

やってみたいをやってみる。

これまでの自分を変えてみたい

 

これまでの自分を変えてみたい。

そう強く思うようになったのは、

割と最近のことではない。

ずっと、心のどこかで、そう思っていた。

 

自分を変えてみたいと思う動機は人それぞれだと思う。

より自分を高みへ登らせてみたい、

という積極的な、所謂「意識が高い」動機や、

一方「こんな自分ではダメだ」というような

「消極的」「義務的」な動機。

 

私の場合は前者とも後者とも言い難く、

例えば「思考が拡がる」「世界が拡がる」といった意味では

私がこれまで「哲学」というものを学んできた性格上

「意識が高い」動機を持っており、

例えば天才とされる人物らの対談などを聞いた際は

それを強く実感する。

「私は、もっと私の世界を拡げてみたい」。

 

一方私という人間を

最近当たり前に聞くようになった

「自己肯定感」というような観点で見たとき、

大いに問題がある人間だと感じている。

少なくとも「ありのままでいい」なんてことが思えない。

理由は様々あるだろうし、

これまでの成長過程における要因を挙げて

親の教育のせい、と片付けてしまうこともできるかもしれないが、

最も私という人間を知っている私の目から見たときに、

到底それでは片付けきれないような

私という人間の「どうしようもなさ」を痛感する日々だ。

 

「自己肯定感」に関しては、

自分がこれまでに成してきた(と意識している)事、

自分が出してきた(と意識している)成果なども

大きく影響してくるように感じている。

例えば「仕事ができない」というような場合は

「私は仕事ができない」という意識に転じ、

それが「自己否定」へと繋がり、

「自己肯定感がない状態」が育まれる、といったような具合に。

これは本で読んだわけではないが、わかる。

なぜなら、私自身がそうだから。

にもかかわらず、私はこれまで、

自身の仕事の姿勢に関して、改善していこうとは

あまり思ったことが無い。

「このままでいいや」そんな感じ。

 

少し複雑な私という人間

ここまで述べたことを簡潔にまとめると、

どうやら私という人間は少し、複雑なようだ。

 

思考や洞察、知識などといった、

内的な性格を持つものの類に関しては

私は所謂「意識高い系」であり、

その面で「成長したい」「変えてみたい」という

前向きな姿勢を有しているにもかかわらず、

 

「仕事」のような場面では

私は「このままでいいや」という意識を持ち合わせており、

「変えてみたい」と「変わりたくない」が

混在して同居している。

 

これまでいくつかの場面で

その両方の性格による葛藤は感じてきたし、

その葛藤のたびにほとほと疲れてしまう自分がいることも知っているし、

何より、この社会において、

この「葛藤する自分」というのは非常に厄介であることも知っている。

 

そのような厄介な自分が招く

「現実」がまた厄介であることも。

 

厄介な自分が招く現実

と書きつつ、自分の現状について

少し頭の中で整理してみたが、

やはり非常に厄介な、おかしな事態になっている。

 

自分という人間は

難関とされる大学を卒業したにもかかわらず、

到底その大学の人らが目を向けないような

中小企業に勤めており、

 

学びたい!という意識のもと

買いそろえたいろいろな参考書を端に追いやった机で

ゲームをしていて、

 

盛大な結婚式を開き、新婚旅行へ行き、

周りから所謂「成功」とされるようなことをしておきながら

その時の借金が未だに片付けられていない。

 

数年前に子供が出来、

上記の借金がある経済事象の為、

それを機に妻の母、妻の妹がいる妻の実家へ移り住み、今に至るが、

それを「情けないこと」「何とかしないと」と感じつつ、

運悪く(運よく?)

一緒に暮らす義妹の下着姿なんかを見てしまった時には

「もう少しこの生活を続けていたいな」なんてことも考えてしまったりする。

 

要は何が言いたいかというと

「変わりたい」のか「変わりたくない」のか、

「成功したい」のか「成功したくない」のか、

それが自身の中ではっきりしていない

私というような人間が招く「現実」というものもまた、

「変わりたい」のか「変わりたくない」のか、

「成功したい」のか「成功したくない」のか、

よくわからないものとなっているということで、

 

そしてなにより、ここからが最も声高に言うべきことで、

「私は、やっぱり変わりたい」ということなのだ。

 

やっぱり自分を変えてみたい

なぜこのように思うようになったのか、

文字にするとこの思いはとても高尚な

素晴らしいことのように聞こえるかもしれないが、

実際はずっと「消極的」なことかもしれない。

 

「もう、嫌だ」「この現実を、なんとかしたい」

そのような言葉が一番しっくりくるような思い、

それが私の「これまでの自分を変えてみたい」だ。

 

もう、こんな現実とはおさらばしたい。

もう、たくさんなんだ。

 

これまで書いたことでも

「自分」と「現実」の関係性が浮き彫りになっているが

どうやら「自分」と「現実」は

割と近い性格を持ってくるらしい、ということが分かっている。

 

今であれば

「変わりたい」けど「変わりたくない」という私と

「変わりたい」けど「変わりたくない」という現実。

 

私は社会人になってからというもの

このどっちつかずな現実を

どっちつかずな自分で現象化し続けた。

 

そして何度も何度も「閉塞感」のようなものを味わい、

そして、それにもかかわらず、

自分を「変える」ことなく、

相変わらずどっちつかずな現実を、現象化し続けている。

 

けれどもう、上手く言い表せないけれど

それは「もう、嫌」で「もう、限界」で、

「違う世界を見てみたい」

そう強く思っているのが、このタイミングであり、

このブログ、この記事を書く運びとなっている。

 

なぜブログなのか、どう変えるのか

「変わりたい」と思って「ブログ」を書き始めるのは

一見、あまりつながりが無いように思えるかもしれない。

 

所謂「ブロガー」として成功したいという熱意があるのであれば

それは成り立つかもしれないが、

私の場合は「ブロガー」として成功したいという意識はない。

 

ではなぜ「ブログ」なのかというと

それは「書く」という自身の思考の「排水」行為を行いたいからであり、

また、どうせ「書く」のであれば

何か形に残るような媒体で書いておいたほうが良いような気がする

という私の中の貧乏性が

この「ブログ」という選択肢を取らせている。

 

自身の思考の「排水」行為に関しては、

有名な著書『ずっとやりたかったことをやりなさい』(ジュリア・キャメロン)

をはじめとする、様々な「自己啓発本」で語られているが、

 

私たちの脳は

自分のやりたいことを「やりたい」と考える脳のはたらきと、

それらの「やりたい」に対して、

理性的立場から「抑える」はたらきが存在しており、

本来私たちはこれらのはたらきを五分ずつ駆使し生きるように設計されているが

現代社会においては理性的立場の

「抑える」というはたらきがもっぱらメインの機能となっており、

その為私たちは「やりたいこと」「直観」「インスピレーション」といったものを

抑えてしまっている、というもので、

「抑える」はたらきを弱めてやると、

「やりたい」や「直観」「インスピレーション」といったものがはたらきだす、

というものだ(かなり意訳を含んでいるため、知りたい方は著書を読んでほしい)。

 

ではどうすればその「抑える」はたらきを弱められるのか、というと

それが「書く」という行為だ。

朝一番に「書く」という行為を行うことで、

脳の理性的な機能が一種の「疲弊」した状態となる。

 

その理性的な機能が一種の「疲弊」した状態では、

「やりたいこと」「直観」「インスピレーション」の制限が弱くなり、

その日一日、それらを感じやすくなる、というものだ。

 

そしてそれを実践するのがこのブログであり、

今朝一で、ここまでで3000文字を超える文字を

自分「理性的」はたらきを使って排水し、

今、良い感じに「疲弊」を感じてきている。

 

なぜ「やりたいこと」「直観」「インスピレーション」の制限を

弱めたいのかというと、

先ほど書いた「変わりたい」けど「変わりたくない」という私を

なんとかしたい、という思いからである。

 

「変わりたい」けど「変わりたくない」

おそらく私は、

前者が「やりたいこと」で

後者が「理性的な制限」と考えている。

 

後者が弱まり、前者が表に出てくることで、

私という人間が

「変わりたい」「変わった」という人間になれば、

先ほどの理論で行くと、

現実も「変わる」のではないか。

そのような算段でこの「ブログを書く」という行為を始めるに至ったわけである。

 

これからについて

まず、今日この記事を以て

「変わりたい」の一歩を踏めたのは私自身とても達成感があるが、

これは「習慣」にしないと意味がないことも重々承知している。

ゆえに今日から毎日、このブログの更新は続けていくが、

記載する文字数に関しては、ある程度目安のようなものが必要かと思われる。

 

今ここまでで3550字となっているが、

ここまで書くまでの時間は、1時間を超えており、

1時間以上かかるようなことが、毎日の習慣になるとは

少し考えにくいからである。

 

とはいえ、頭の「疲弊」が目的であるため

文字数に関してはある程度の文字数が必要であることも承知しているので、

一旦1500~2000文字を目安に、書き続けてみたい。

 

なんども書くが「習慣」にしないと意味がない。

これはここに書くことで、

今、自分自身に強く言い聞かせている。

 

もし、この記事を最後まで読んでくださった

とても物好きな方には、

どうか、私を見守っていただきたい。

このブログ「N's Lab」という実験場で、

私は私自身を実験し、変わっていこうとしている。

その人間が向かう先を、見守っていただき、

そして、もし物好きなあなたも「変わりたい」と思っているなら、

この実験場の実験を、参考にしていただけたら嬉しく思う。

 

初回の記事ということで少し長くなったが、

今回の記事はここまでとする。

 

今日の天気はあまりよくないな、

でも、心はいつになく、晴れやかに感じるや。