えぬずらぼ

やってみたいをやってみる。

人生とはある種の自慰行為だと思っている

人生とは「自慰行為」

とんでもない書き出しである。

けれど割と、的を射ているかもしれない。

 

「人生って何なのだろう」

そう考える瞬間がこれまで何度もあったし、

今も、そんな瞬間が訪れている。

 

これに対する答えは、きっと

人の数だけあるだろうし、

同じ人に質問しても、

その人の状況によって、答えが変わったりするのだろう。

 

そして今この瞬間

私は「人生とは『自慰行為』である」という考えが

とてもしっくりくるのだが、

少し前のタイミングで私が同じ質問をされたらきっと

「人生とは『死ぬまでの時間つぶし』である」

とか答えていたんだろうな、と思う。

 

「死ぬまでの時間つぶし」について

考えが変わったタイミングということもあって、

それぞれの考えを比較して、

ほんとにこの今の「人生は自慰行為」論を

持ち続けても害はないのだろうかと考えてみる。

 

まず、昔持っていた

「人生は『死ぬまでの時間つぶし』である」論だが、

なんだかよく聞く気がする。

きっと元ネタがあって、

その元ネタを発した人は

たいそうつまらない人生を送った人なんだろうなー

なんて思いながら調べてみると、

「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉を

漫画家の「みうらじゅん」さんが発しているから驚いた。

 

なんというか、この言葉からは

消極的で陰な、マイナスな側面を感じていたのだけれど、

どうやらそうではないらしい。

 

生まれてから死ぬまでが余生であって

余生を楽しむために、今を生きるのではなく、

今生きている時間も余生なのだから、

楽しさも苦しさも、すべて楽しんで味わおう。

という姿勢で発信されたらしい。

 

すごく、いい。

現代人が忘れがちな「今」にフォーカスし、

「余生」というワードで「生きる」まで投げ捨てることがなく、

「生きる」んだけど、それはそれまでの「生きる」ではなく

あたらしい、もっと瞬間的な「生きる」であって、

なんというか、禅的な何かを感じる。

 

私がもともと抱いていた

「人生は『死ぬまでの時間つぶし』」は

「暇つぶし」が「時間つぶし」になっているだけなんだけれど、

それだけで、大きく印象が変わるものだなあ。

 

「暇つぶし」というのは

「今」よりも、「より充実した今」へベクトルが向いているのに対し、

「時間つぶし」というのは、「より充実した『目的』」に

一旦フォーカスしているところから

「『目的』よりも充実していない今」へベクトルが向いている気がする。

 

たった一語、それも、似たような言葉に変わるだけで、

ずいぶんと意味が変わってくるんだなあ。

この記事を書き進めていなかったら、

ずっとこの言葉を勘違いしたままだったかのしれない。

知れてよかった。

 

「人生は『自慰行為』である」の意味

さて、ここで最初に私が提示していた

「人生とは『自慰行為』」について改めて見ていきたいが、

「人生とは『自慰行為』」については、

私的にはプラスの意味で発信しているつもりで、

「無色」で、なんだか「味気ない」「無機質」と

感じられる場合もある「人生」それ自体に対して

「楽しもうとしたら面白くなるよ」みたいな意味で発信している。

 

「自慰行為」っていうのはきわどいワードかもしれないけれど、

この「自慰行為」ってワードが私は結構好きで、

「独善的な」っていう悪い意味もあるのだけれど、

そっちの意味というよりは「面白おかしさ」「バカらしさ」

けれど「確かにそこにある面白さ」みたいなものを

この言葉で表現したかった。

 

あんまりつらつらと

自慰行為について書くのは良くないのかもしれないけれど、

男女問わず、自慰行為に使用される「玩具」については

明らかに「無機質」なもので、

それは、ただ「無機質」なものとして存在させることもできるのだけれど

それに対して「気持ちよくなりたい」という

人間側の意図、素直な生理的欲求を少し与えてやるだけで

その「無機質」なものが「玩具」となり、

存在する、以外には我々に何かを与えられなかったものが、

「快感」という、実に「有機的」というか

「温度のある」ものを届けるようになる。

 

私は、人生もこれと似たようなところがあると考えていて、

きっと、私たちがなにか「とても大切な本能的な欲求」

言い換えると「夢」や「希望」や「野望」というようなものを

すっかり忘れてしまったときに

人生が「無機質」なものになってしまって、

けれど、ひとたび「夢」や「希望」や「野望」というようなものを与えてやると

それらが輝きだしたりするようなものだと思う。

 

こう考えると、

「人生がつまらない」という、よく抱く「行き詰まり感」にも

なんだか対処できそうな気がしてくるなあ。

つまり、「人生がつまらない」というのは

「人生」側の問題ではなくて「人間」側の問題で、

この「行き詰まり感」を抱くときは、

「夢」や「希望」や「野望」を、人間側が忘れてしまっている、ということ。

原因は外的なものではなく、内的なものでしかない。

だから、内的なアプローチを試みれば、割と早めに解決するのかもしれないなあ。

「瞑想」や「ヨガ」で「思考」を一度すっきりとさせてみるのも良さそうだし、

「断食」や「禁欲」で「欲求」を一度ため込んでみるのもいいかもしれない。

「人生とは『自慰行為』である」と言いつつ、

禁欲している様は少し面白いかもしれないけれど(笑)

 

今日もなんだかんだと

あまり意味を為さなそうなことを発信してみた。

これも、誰かの「自慰行為」に使ってもらえれば幸いである。